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モリケンのキセキ

1963年の創業以来、
数々の現場に携わり今年で60周年
森建設の挑戦はまだまだ続く・・

1962年

上段:伊豆急下田現場付近にて   下段:東急東横線渋谷駅工事

伊豆急行新設工事への声がかかる
元々四国で鉄道土木の仕事に従事していた初代の社長森宏(もりひろし)。就業先の倒産により困っていた矢先、東急建設から伊豆急行の新設工事の誘いが来ました。この時の繋がりから、現在も続く東急建設との関係がスタートした。

いざ伊豆へ
誘いを受け、自らが親方となり部下をおよそ10人引き連れて工事に臨んだ。

東京での最初の仕事
伊豆急行の工事を終え、昭和37年(1962年)には東急東横線渋谷駅の工事を請け負った。

1963年

設立当時の従業員
株式会社森宏工務店スタート
下田の伊豆急工事がひと段落した頃に事務所を東京に構え、株式会社森宏工務店がスタートした。

次々と東急沿線の駅を施工
その後も東横線学芸大学駅や日吉駅を施工。

1969年

東急東横線都立大学駅~祐天寺駅間 立体交差化工事
社名変更
森建設株式会社へ社名変更。

勢いに乗る森建設
森建設は波に乗り成長を続けていった。

信用と実績
「信用と実績」を大切に森建設は次々と現場を収め、東急建設(株)鉄道部門No.1企業へとのぼりつめた。

東急建設(株)への入社
二代目の社長森栄(もりさかえ)は大学卒業後に東急建設(株)へ入社。
現場で経験を積んでいった。

1984年

二代目社長森栄、森建設へ入社
当時の森建設は作業員200人を抱える大所帯。
東急建設(株)での経験・学びを活かし、技術者強化の必要性を感じ始める。

1985年

本社、社屋完成
これを機に、業務を更に増強・拡充していく。

1987年

三代目社長永瀨哲治(ながせてつじ) 森建設へ入社
短期大学の総合土木科を卒業後、技術員の新卒社員として森建設へ入社。

1990年

一式工事の開始
これまでには無かった遊水地の工事で見せたチャレンジ精神。
二代目社長の森を中心に、見事に2つの案件を連続して成功させ、森建設の評判はさらに上がった。

1992年

林試の森公園せせらぎ橋整備工事
役所工事の受注
一式工事の成功にとどまることなく、森建設はさらに進化を続けた。

バブル崩壊

1994年

二代目森栄 社長就任
森建設は一式工事ができる貴重な存在だった。
二代目社長の森がかつて取組み、仕事の幅を広げた一式工事がバブル崩壊後の苦難を乗り越えるキーとなった。

2008年

川崎支店の開設
川崎支店開設と同時に川崎寮も開設され、多くの作業員や単身者に利用された。

2013年

創業50周年を迎える



京王線下北沢駅ホームドア設置工事
東京オリンピック2020へ向けて、工事案件の増加
来たるオリンピックへ向け、建設業界に盛り上がりを見せ始めた。
森建設にもホームドア設置工事を始め、オリンピック関連の工事が増えていった。

2019年

三代目永瀨哲治 代表取締役社長就任
入社以来、約32年間森建設の一社員として活躍した。
その仕事ぶりやお客様、部下からの信頼の厚さにより三代目社長へと抜擢された。



森智昭(もりともあき) 代表取締役常務就任
「人の気持ちを大切にする」ことを信条に、社会人生活の第一歩を社会福祉士として歩んだ。
その後、二代目である父の想いに応え、2017年に森建設に入社。
社員としての仕事を学びながら、経営陣としての力も磨いている。
会社の未来を担うべく、29歳の若さで代表取締役常務に就任した。

2020年

新型コロナウイルスの蔓延
他業界同様、建設業界も受注数の減少や人員減少、工事予算の削減等、新型コロナウイルスの影響を受けた。
森建設もまた受注数の減少等の影響を受け、伸びていた業績の勢いが低下する。

アフターコロナ(ウィズコロナ)と森建設
コロナ禍で多様な働き方が生まれ、テレワークやIT技術の導入等、建設業にも業務効率を上げるためのデジタル化が進み始めた。
アフターコロナ(ウィズコロナ)と共に業績も少しずつ回復しはじめた森建設。
新たな章の幕開けとして、今後は令和の時代に見合った企業になるよう「森改革」を始動している。

これからの森建設

100年続く企業へ向かって
今後も「約束の厳守」「信用と実績」をモットーに、更なる成長を重ねながら森建設は進んでいきます。
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